男と女の関係は性的な関係であり、欲望を持った世界であり、性関係は全てにおいて性差別となる!ラディカルフェミニズムの視点
今回は
ラディカル・フェミニズムにおける性愛の可能性
ドウォーキンの功罪
吉沢夏子先生の論文から
ちょっぴり学んだことを
アタクシなりに
お伝えしようと思います
まずですね
男と女の関係は全てエロ関係である!
ここからいってみよう!
男と女の関係は全て欲望を持つ可能性のある関係である!
これはですね
男女の関係は常に
エロい関係になるのか?どうか
つまり
性的対象と見るかどうかという
ことです
つまり
結婚したら男性とはお話ししたり
ご飯を食べに行ったりしません
という立場をとるのか?
男の人も女の人も
同じ!だから出かけます。
ということにするのか?
つまり
目の前にいる男を全て
いつかやるかもな?
って思うかどうかなんだけど。。。。
そんなのないでしょ!
って思う人もいれば
そうじゃない方もいます
男女仲のグレーゾーンのあるなし
のことだと思うんだよね
場所にもよるよね
例えばマチアプだったらそうだし。
コンビニで会った人なら違う。
つまり
その状況なら女として見られることを
許可するけど
他の状況では常に男と女の関係を
求めているわけではありません
という境界線がないことが
この世の中多いです
だからこそ
あんなミニスカート履いてるから
痴漢にあうんだとか
本当に
大きなお世話!それがセクハラ
という誤解や問題が起こります
目の前の男友達に告白されたらどうする?
実際には
私は男と女の関係は全て性関係である
とは思っていません
ただし!
多くの方々はそう思っているというのは
正しい考え方かなと思います。
そう思われる可能性もある。
私が男性のヨガのお客様と一緒にいると
え?
もしかして?
とすぐに思ってくださる方もいるし
もしくは
「エミリちゃん告白されたらどうするの?
傷つけちゃうじゃん
もしくは好きになったら傷つくじゃん」
とおっしゃった方もいますが
男も女も同じ!
リスクがある!
と思えんのか?
不思議さがあります
あそこに何かがついてるのは
全て
欲望の対象になり得る?
わけでもないし
逆に女の人は絶対にない?のか。。。
もしくは将来を約束してない
関係性は不純であるのか
というか人間じゃんね。
もしくは
その気のある人以外は
話したりすることは
禁止であるのか
もし好きになるとして
セックスするとしたら
そのことが問題であるのか?
話すこともその一端なのか?
なんかさあ
それ?やばい宗教なの?
っていうくらい
みんな重いのではないか?
というか
多分女性がそう思うのは
自分だけの彼!という部分もあるのかもしれないですが
きつぅうううとも思います
友達が私のうちへ遊びに来た時に
私の生活のことを
イケメンパラダイス!とおっしゃってくれたけど
↑
その時のお話会の様子はこちら
全ての男性との関係を
性的関係を持つことを
前提にしていることの方が
不自然なことと感じてます。
そのグレーゾーンを理解してない方も多かったです
というか
ないから。。。そういう気
ただし
(おじさん)男の人から
「僕は全ての女性と会う時
やれるかなーって思ってます。」
つまりそういう
欲望を持った目で見てます
と言われたことがあって
はっきり超高収入イケメンじゃない限り
女性はそんなファンタジーは持たないし
あるそれはセクハラです!
とお答えしたこともあります
セクハラはこういうとこから
始まるのかもしれない。。。
つまり
全ての男女関係は
将来せっくすするとか
好きになるとかを抜きに
付き合うことができるのが
理想です。よね。
よくある男女の友情はあるのか論ですが
友情というか
下心なく友達になれるのか?
だと思います。
そして女性にゲイの友達がいるとかが
よくあるネットフリックスのシチュエーションですが
そのちょうど中間みたいな感じで
憧れるんでしょうね。
男と女の性関係は全て性差別である!
これも
いきすぎた考え方かもしれないけど
私もよく言ってる
結婚するとは
「相手のパンツを洗うこと」
これは女性に向けて言ってます
男性は
洗ってもらうことになるのかもね。
つまり
家事労働、ケア労働を基本女性がする
その不平等は
今の世の中でもあります
というか
男性で
結婚したら
「彼女のパンツ洗うの嫌だなー」って
悩んでる方はいません
女性も当たり前に
受け入れるんだと思う。
ということで
ラディカルフェミニズム本気組は
結婚なんかするな!
それは奴隷制に賛成することになるんだぞ!とか
言っていて、結局結婚しちゃったし!
もう子供産んじゃったし!
という女性との反乱をうみ
下火になっていくということなんだけど
もちろん
穴にも入れんな!
せっくすするな!
それは服従関係の始まりや!
とかね
そういう考え方もあるけど
まあそこまでやっちゃうと面白いです
結婚は自然なこと?
男と女は恋に落ちて
愛し合って結婚して
子供を産み幸福な家庭を築く
それは当然至極
自然なこと!❤️
普通である?
不自然なことだということに
気づいていません
そこに大きな罠が隠されているよ
あえて言うと
女は愛する男に
一生に一度めぐり合って
あえて言うならショジョの方が良くって
結婚して妻となり
その愛の証として
セックスして
その結果
愛の結晶という
子供に恵まれる母になる。
これに勝る幸福はないのじゃ!
という信念は
根拠はありません。
都市伝説です。
そんな夢がなきゃ
結婚はしないのかもしれないし
はい。
としたらよ
愛とか
子供とか
家族とか
結婚が
普遍的な幸せで
どこで何をしようとも
幸せなわけよ!自然なのよ
っていうわけでもないわけね。
当たり前だけど
結婚したら必ず
セックスするもないよ。
プラトンから学ぶ理想の結婚生活なのか?常識として普通の結婚を目指すのか?
結婚にはセックスがつきもので、男性はしたがるのが当たり前!
女性の体は男性の欲望の対象となり与えるものである
女性がせっくすするさいに
ものになってしまう時というのはあります
与えてる感じというは
女性側に快楽がない場合
選択が無い場合
もしくは
(自分が子供を欲しいと思っていても)
妊活の際のセックスをして
子供を作るための道具に感じられたり
男性が女性の意思を尊重せずに
挿入したり体を使われたり
風俗でお金払ってるんだからなんでもやっていいんだろ!とか
そういう時に
平等な関係ではないセックスになり
女性側は傷つくし
上下関係のあるセックス
は起こります
だから
家庭でも起こるし
愛し合ってても
起こり得ることです
長い付き合いだからとか
親公認の彼だからとか
関係ないです
これは
ほとんどのセックス!が
そうなんじゃないか?と思うほどです。
痛みがあるとかもね。
いったフリをする女性は
たくさんいる世界は
やはり
女性は与える
体は捧げるもの
となっているから。
男性に気持ちよくなって欲しいとかも
残念なことですけど
膣というのは
男性を気持ち良くさせるための
道具ではないし
機能的にもイマイチです
男性性きも
女性のクリトリスに快楽を与えるには
不十分な役割しか持ちません。
女性側が全くもって
男性に快楽を与えてもらいたい
もしくは与えたいと勘違いしたら
男性に使われる
主従関係が出てきちゃうというわけです
愛ゆえのセックスだったら
自然で正しいもの
真っ当なせっくすになるというわけでもありません
このように与えること
という考え方をやめて
自分が気持ちよくなり
快楽を味わえて
精神的に満たされるものであり
コミュニケーションとしての
性愛行為であり
ファックにはならないということを
理解すべきです
レス解消の第一歩もここね。
愛があるからとか
結婚してるからとかじゃなくって
自分の感覚を信じられるようになってほしい
自分の体に自信がないとかは
言語道断です
あなたの体に
たたない男の問題だと思ったほうがいい
男と女の関係性は対等である
2025年結婚する人の数も
子供を産む人の数も減っています
というのは
やはり
対等であるということを
望んだ時に
それは女性も男性も
結婚にしても
妊活にしても
子育てにしても
誰かが犠牲になって
成立することが
できなくなっているから
だと思います
ラディカルフェミニストたちの
女性は結婚したら
搾取されるんだからやめとけ!!
考え方は
とても突拍子もなくも思えるけど
人はどんどん気づいてる
女性は搾取されたり
誰かに使われたりしたくないし
それを感じるのなら
子育てをしない
妊活もできない
もしくは子供を産まない
結婚もしない
ラディカル・フェミニストたち
が望んでた世界は
実は作られちゃってるのかもね。
もちろん
男性と
対等に結婚し
家族を作り
子供を産み育てることもできるし
それは幸福なことの一つです
そして素晴らしいことです
セックスも
対等に
快楽やオーガズムを
楽しむこともできる
だから
どっち選びたいの?だけだよ。
ということに!
ラディカルフェミたちに学べること
皮肉なことに
多くの女性は
その時代
子供を産みたいし
男も好きだし
結婚して幸せになりたいのよ!
ということを求め
このラディカルフェミの活動は
下火になっていくんだけど
私たち女性が選んで行き着いた方向性は
今の現代社会においてよ
(犠牲になるなら)
女で生まれて
罰ゲームみたいな人生はもう嫌!
結婚もしないし
子供も作らんし
子育てもしたくない
というのが主流になりつつあるわけです
というか
簡単に
努力しないで
結婚も
子供を作る妊活も
子育ても
できる世の中にしてみろよ!
じゃないと人類滅びるぞ
って感じなんじゃないでしょうか
おほほほほ