日常の男女の不平等についての疑問チママンダ・アディーチェ考察。男も女もフェミニストじゃなきゃ!
どんな形であっても
隠れフェミニストでもいいけど
女性として生きることは
どこかで疑問を持って欲しい
そんな気持ちがいつもどこかにあります
そんな気持ちで
フェミニスト講座をしました
これは
アディーチェ・チママンダ
さんの文章
イジェアウェレへ: フェミニスト宣言、15の提案
このかたのTEDなども見てもらうことにして
男も女もみんなフェミニストじゃなきゃ
↑名訳だよね
本を読めばわかることであっても
理解するきっかけになってほしい
そして彼女も言っているように
幸せなフェミニストになってほしいという
願いを込めてお話ししました。
ヒステリックなフェミニストという誤解
そしてフェミニストというと
男嫌いのレズビアンといった意味のない論争や
ジェンダーの複雑なシステムの話になったり
どっからが男でとか
どちらの性を愛するとかね
ヒステリックなクレーマーに
見られることも多い中
男の人のようになりたいのではなく
ただ単に
人間として対等である
という世界の話です
もちろんこのお話をすると
暗くなってしまったりするし
被害者意識すぎると
批判されることも多いのかもしれないから
注意事項でもあります
だから話しづらい
書きづらい
不満を飲み込むのではなく表現する
お父さんもお母さんがいない時は
早く帰ってきていたとかね、
反論されることも多い世界です。
それ以上に
女性だってもう今では社会に出てる、とか
女性を弱い立場にしてしまう
その考え方自体が
女性を解放してないんだと思う
といったことになることもあるので
難しい世界と思われがちです。
言葉を選ぶ必要があり
本当に面倒だなと思うと同時に
だからこそ言わなきゃなって思うわけです。
小さいミクロな世界で起こっていること
日常で当たり前に起こっていることだからこそ
見られることはないです。
これが国連とかね
そういう世界の話だと別なんだろうけど
おうちのキッチンで起こっていることだから
社会問題とはならないのかも。
単なる不満で収まっちゃう
フェミニストは
女性の権利条約には乗らないことのお話です
女性は日常を生きている
このセミナーでお伝えしたことは
日常で起こっていることです
両親のどちらがお茶を出すのか?
どちらかだとしたら、なぜか?
子供が風邪を引いた時
休みを取るのは両親のどちらか?
どうしていつも同じなのか?
お皿を洗っていたのは父なのか母なのか?
それはなぜか?
熱があっても食事を作っているのは母か父か?
そういった小さいことです
そのことについて疑問を持ったり
話し合ったことはあるのか?
とっても小さくって
男性にとっては
優遇されているとは思えないくらいのことです
だから気づきません
知りません
わかりません
だって
それは当たり前であったから
歩ける人に
車椅子の不便さなんてわからないんです
辛さもわからないし
不満があるなんて思ってないかも
子供の時から不思議だったはず
そういうものだから
でもね
インナーチャイルドは見てきてます
いっつも
損をしているのは
女性なのではないか?と
こき使われているように見えるのは
母なのではないかと
いつも子供が風邪をひくと
会社に休みをもらうために
頭を下げなくちゃいけないのは
私だということを
男性も社会で苦労している。
もちろんそうなんでしょう
ただし、女性が仕事を始め
その風当たりの強い社会に出て行った時
家に帰っても
全くもって100年前と同じく
仕事はしてもいいけど、
家事が疎かにならないようにしてください
なんていう状況で
生きていることの何ていうか
不条理さは女性自身も
感じて欲しいんです
鈍感になっていって欲しくない
諦めないでいきたいし
少しでも一ミリでもいい方向に
持っていくようにして欲しいんです
少なくとも
自分のパートナーには
不満を理解してもらう
努力はして欲しいです
知らなかったではなく
知っていたけど
できなかった
やってもらえないは違うので
もちろん次の世代の子育てにも
全く同じことが言えるでしょう。
普通の女性が革命を起こしてきたのだから
100年くらい前までは
個人の財産、つまり預金通帳さえ
女性は持てませんでした。
投票権もなかった
そんな中で
名も知らない
歴史の教科書にも載らない
普通の女性の、ぼやきや嘆きが
そして疑問が
いつかしら
少しずつ
形になり
今の私たちの権利と
自由に近づいてきたんだと思うんです
そういうものだからって
諦めるのではなく
そして
罰ゲームのようになってしまう家事を
ポジティブシンキングに持っていくのではなく
少しでも自分の人生で
対等にできる部分はなんだろう
どうしたらわかってもらえるんだろう
という問いかけは辞めちゃいけないわけです
もちろん家事の素晴らしさも
大切さも忘れずに
やりたいから
楽しいから
やっていること
何をやるかではなく
どういう心持ちでやっていくかも
大切です
平等の鍵は?
受講者さんから
平等の鍵はなんでしょう?
「自立」ですかと聞かれた時
正直まだ答えはわかっていない自分もいて
困ったんです。
精神的、物理的な自立も大切です
いくつか思うことは
声に出せるかどうか?
不平不満がある時もそうだし
欲しいと思ったものがある時
罪悪感なく
図々しい自分だなと思うことなく
要求できる自分であるということ
女性が声を出すことは
どんなことであっても
すごい恐怖であったりします
「言いたいことが言えない」
「意見はない方がいい」
女性は従順であることを求められます
常に求められてきました
優しくて、柔和なあなたであること
結婚というご褒美をもらうために
選んでもらうために
親はそうやって育ててきたに違いないんです
そこを乗り越えることができるか
も重要な部分です
結婚は人生の目標でもなく選択です
そして幸せにも不幸にもなれるものです
手に入れたら合格でもなく
それを使って人生をより
味わうツールのような気もしますが
他人を嫌な気分にさせたとしても
自分の意見を
言えるのかどうか?
そしてその一言を言えた
自分を褒めてあげれるのかどうか?
ここはすごく強い意志が必要です。
女性も選ぶ力があるということ
もう一つは
女性は選ぶ力を持っているという
ことを信じること
女性には選択権がなかったり
もしくは望むことさえ諦めていることも
たくさんあります
昨今の女性が傾倒する
スピリチャルブームみたいなものも
女性に「望む」権利を与えてくれるもの
なのかもしれません
毎日「どうしたい?」って聞いてあげることも
大切かも
自分を時間をかけて大切に扱うこと
できることはたくさんあるから
そこから始めるしかないです
一歩ずつ
困難であってもね
答えは一つではないのだけど
どこかにあるのかもしれないし
探していくのも悪いことじゃない
のではないのかと
思い出すところはいつもここ
私は誰とでも対等であり
大切な存在であるということ
アディーチェさんの本もぜひ読んで欲しいです
では!